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崩壊序曲V

Thought existence

「さて......っと」
 俺は平和そうに目を閉じている子供────ミントを見下ろして溜息をついた。
「さっきから覚醒信号は送っているって言いましたね」
「は......はい」
 オペレータが答える。
「他に有効な手立てはないんですか」
 オペレータとリュシュカさんの顔を見る。と。
「ここをお願い」
 リュシュカさんがオペレータに言った。そして。
「マットさん、ごめんなさい。私は技術班の責任者ですので現場に戻らなければなりません。......必要なことは彼女がお答えできると思います」
 オペレータが頷くのを確認すると、彼女はそのまま俺の返事を待たずにヒールの音を響かせモニター室へ戻っていった。
「......えぇと」
「科研3課のメイヤーです」
「────メイヤーさん」
 俺が名前を確認すると、彼女は頷いて言葉を続けた。
「Kitten────いえ、あの子供達は手首のリングでシステムに繋がれています」
 ......「Kitten(仔猫達)」。
 メイヤーさんが不用意に漏らしたその単語は、あの部屋で自分本位に遊んでいる子供達のイメージによく似合っていた。
「ですから、停止信号が届かない現状、次の対策としてはリングを手首から外す────つまり論理的に切れないのなら、物理的に切るというのが定石ではあるのですが......」


 モニター室。
「ただいま戻りました」
 リュシュカは自分の上官に声をかけた。
「......モニターで見てたわ。やられたわね」
「ええ」
 彼女と彼女の上官の視線の先には、孔の開いた壁にどよめく科学者達。科学者達の視線の先には、モニターの中でミントを覚醒させようとしている「彼」が映し出されている。
「経路の解析結果は出ましたか」
「えぇ......でも、これは厄介だわ」
 プリントアウトされた書類を渡され、リュシュカは一通り目を通す。
「......成程、そういうことですか」
 彼女は先輩でもある上官に途惑うように返事をして......吐息をつく。
 そして、しゃきっと背筋を伸ばし上官の顔を見て言った。
「報告しましょう。情報管理について嫌味は言われるでしょうが、隠しておくのは却って自分の足許を崩しかねません」
「いいのね?」
 上官の返事は、質問ではなく最終確認だった。
「はい」
 リュシュカは力強く答えた。

 局長の許へ現状報告を行うため、リュシュカは上官の後ろについて部屋に入った。
「......現状ではこの施設にハッキングを仕掛けたのが何者なのか断定はできません。ですが侵入経路は特定できました」
 上官が後ろの彼女の顔を確認する。リュシュカが頷き、上官は再び局長に向き直って言った。
「メインフレームへの侵入に使用されたのは、彼女────主任、リュシュカ=ミラーのIDです」
 局長の視線が、彼女を射る。
「......私に後ろ暗い処はありません。問題があるようでしたら、身柄を拘束していただいて結構です」
 リュシュカが局長の視線に返答するように言う。
「......それで?」
 局長はリュシュカから視線を外し、再び上官に向き直った。
「はい。────この施設の唯一の脆弱性であるアースシミュレータとの外部接続点を突かれた形です。敵は複数のダミーサーバを使い、国内の大学のネットを経由。旧NATO施設のまだ稼動状態のまま放置されていたメインフレーム数機を中継点として、アースシミュレータに侵入。メインシステムを乗っ取り施設内にあらかじめ設置されていたと思われるECMと連動させ、無線有線のすべてを僅か数十分間ですが完全掌握するに至っています。......と口で言うのは簡単なことですが、これほどのハッキングを外部から行うのは理論的には可能でも、物理法則がそれを許しません。巧みに外部からの接続に見せかけてはいますが、恐らく内部の人間の犯行、あるいは手引きがあったと思われます」
「......そうか」
 局長の言葉には、苦さが含まれていた。


 眠りとは無機なるもの。
 少なくとも今まではそうだった。
 光の遮断。指向性を以って沈む意識。ちらちら滲む色。

 ......そして、たどり着く景色。

 それは、あくまでも作られたもの、だ。
 吹く風。意思なく揺れる草木。......逃げる、あるいは攻撃してくる人間(Drawn)。

 どんなに現実に似せようと、それは異なるもの。

 しかし、本物であろうと偽者であろうと関係ない。
 僕達は常に風に逆らい、草葉を薙ぎ、目標の動きを断つ。
 ────それが、ただ一つの存在理由(Raison D'etre)。

「全員、いるか」
 僕は振り返る。
 ジンジャー、シナモン、タイム、マロウ、セージ、ローレル。
 お互いに頷きあう。
「戦闘準備に入る。各自の兵装を再確認。開始時間はゼロ────」
 ......言葉が止まった。
 景色が淀んだ。

 空が、草木が、地面が、人間が────ノイズを滲ませて揺れる。
 同時に、他のKitten達の姿が視界から消失した。

 景色のゆがみは一瞬で整合性を取り戻し────同じ景色へと切り替わる。
 しかし、僕は一人だった。
 僕達は互いの存在を視覚や聴覚に頼らず感知することができる。本来僕達は近くに固まって装置の上で寝ているはずなのだから、互いの存在を感じられないということは何らかの力で感覚を断絶されている、ということだ。
 こんな事態は初めてだ。
 ......目覚めなければならない。内的にせよ外的にせよ、この事態が異状であることに変わりはない。
 僕はその場で、これから成すべきことを考え始めた。

 ────ふと正面の景色からやってくる何かの気配に目を向ける。
 歩いてくるのは人間の子供と......大人。
 子供は、大人の顔に目を向けて。大人は、子供の顔を見下ろし。
 ......子供の右手と大人の左手は、軽く指先で結ばれている。
 微笑いあっている。

 僕は身構える。
 子供と大人は、手を結んだまま、こちらへ歩いてくる。......僕の存在に気が付かないかのように。
 「途惑い」が僕の中に発生する。人間の、見たことのない姿。
 あれは、何だ。

 腰の銃を抜き取る。セーフティを外し、彼らに向かって銃口を向ける。
 近づいてくる二人。けれど、彼らはやはり僕には気付かない。

 僕は、引き鉄を絞った。
 放たれる2つの銃弾。それは、呆気なく2人の中心を通り抜けた。
「...... !? 」
 僕は銃を構えたまま、立ち尽くす。
 そして────彼らは僕の身体をも通り過ぎ、景色の向こうへと歩いていく。
 僕は銃を下ろし、その後ろ姿をじっと見つめ続けた。

 ......その意図は、何だ。

 ここは仮想空間の中。
 ここにあるものは、現実とは異なるもの。
 それ故に、意味を与えられたもののはずだった。

 遠く、小さくなる後ろ姿。
 ────僕は、その現象から何も喚起することができなかった。


 ひとまずメイヤーさんの言葉に従い、ミントの手首のリングを確かめる。リングのロックは単純で、呆気ないほど簡単に外れた。
 頬を軽く叩いてみる。
 ......
 ......
 ......
「起きませんね」
 俺が振り返ってメイヤーさんの顔をみると、彼女は難しい顔をしてミントの寝顔を見つめ続けている。ということは、この事態は彼女にとっても予想外ということか。
 ミントの寝顔に視線を戻す。
 頬をもう一回軽く叩く。
 ......無反応。
 祖母様直伝。睫毛をくすぐってみる。
 .......無反応。えーい、これかなりくすぐったいんだぞ。
 俺は溜息をついて、装置の片隅に、腰掛けた。
 そのまま、先程までリングが装着されていた小さな手を取る。
「......帰って来い」
 何重にも重ねられた隔壁。
 奥底に作られた部屋。
 お前達が何の役割を持っているのかは分からない。この計画に関わる「歯車」の1つであることは容易に想像がつくけれど。
 息を大きく吸って。
「起きねぇか、この野郎っっ!」
 出せる限りの大声は、実験室中に響き渡った。

 オレンジランプがオールグリーンになる。
 警告音は途端に止み────静寂が空気を染める。
 ミントの瞳が俺の顔を捕らえていた。


「......あれ......?」
 次々に上がる途惑いの声。
 ミントが覚醒するのと呼応するかのように、他の子供達も次々と目を覚ましていった。
「シミュレーション、どうなったの......?」
 寝ぼけた声でタイムが問う。
「あーーー !!」
 シナモンとマロウとセージは壊れたガラスを見つけて周囲に群がる。
「なーなー、このガラス、マットが壊したのか?」
 シナモンが訊いてきた。
「うん、まぁ......」
「すげーなっ。このガラス、俺が殴っても壊れなかったんだぜ」
「お前みたいな単純馬鹿がただ殴ったって壊れる訳ないだろう」
 冷静に突っ込みをいれるマロウ。
「だって奥の手使えば壊せない訳ないじゃーん」
 ぷぅっとふくれて反論するシナモン。
 俺は苦笑いして────視線を感じて振り返った。
 ローレルがじっと俺の懐を見ている。
「どうした?」
 ローレルが歩いてきて、俺の前に立った。
 驚くほど素早く、その小さな手を俺の懐に突っ込んで、ホルスターに納まっているハンドガンをひょいっと抜き取る。
「おい」
 予想外の行動に驚いたが、慌てて取り返そうとして弾が発射されても困る。
「......おもちゃじゃないんだ、返しなさい」
 顔を睨みつけて強く言ってみる。
 が、ローレルは動じない。そのまま、銃口を床に向けグリップを握った。
 手馴れたように触ってるけど......手が小さくって親指まわせてないじゃないか。
「......いいな、これ」
 ぼそっと言う。.....初めて、自主的に喋ったのを聴いた。
「何ていうやつ?」
「返したら教えてやる」
 ローレルは10秒程銃を凝視すると、銃口側を持って俺に差し出した。
「よし」
 俺は注意深く銃を懐にしまい直す。
「それで? 何て言うの?」
「────デザートイーグル」
「ふぅん」
 淡々とした声なのに、興味は深々という感じだ。
「すごく、使い込んでるけど、手入れはしてある。カスタマイズもしてるでしょ。グリップ......クルミ材?」
「ローレル、銃好きだもんなー」
 セージがからかうように言う。
「火力が強いのが、一番いい」
 ぼそっとローレルが呟く。......ぶっそうだな、おい。
「えー、勝負なら拳だろっ」
 例によって自己主張するシナモンにマロウが突っ込む。
「野蛮だな」
「何だとーっ」
「はいそこまで」
 俺はシナモンとマロウの間に割り込んで一触即発を防ぐ。
「......これは親父の形見なんだ」
「形見?」
「親父が使ってたんだ。とは言っても、俺が生まれる前に戦死したけどな」
 生まれる前に死んだから、特に感慨があるわけでもない。容姿すら写真でしか見たことがないし。
 ただ使い込まれていたそれを、引き出しの奥底から見つけたから。
 俺はその銃を手にとって────連れて行った。
 そして不思議と......死にかけたあの時ですら......俺の手許を離れることはなかった。
「......親父......『父親』......」
 これまた、予想外のところからの反応。
「ミント?」
「────何でもない」
 返答しながら。
 ミントは装置に腰掛けたまま、中空をじっと見つめ────考え込んでいるようだった。


「......お疲れ様」
 子供達の輪の外から声が聴こえた。
「リュシュカさん」
 そこには心なしか疲れた表情の彼女が立っていた。
「ごめんなさい。でも、来てくれて助かった......とお礼を言うべきでしょうね」
「来てくれて、って......」
 俺は意味がわからず訊き返す。
「この時間にこの子達が実験室にいたことから言って気付いてたのかな、と思ってたのですけれど......本当は、今日は非番だったのよ、マットさん」
 ......あぁ、そういえば。
「私が、連絡を忘れたの。でも、今日はもうこれで実験は中止だから......もし不都合がなければ、この子達の面倒をお願いしてもいいかしら。代休が必要なら通してもらうよう、人事には通しておきます」
「今日は仕事のつもりでしたから構いません。────大丈夫ですか?」
 顔色の悪さに、思わず尋ねる。
「大丈夫も何も────こちらはこれから事後処理。帰り損ねたわね......いや、却って運がよかったというべきかしら」
 くすっと笑う彼女。
 独り言じみた返事に、ついつい心配になる。
「リュシュカさん......」
「あ、部屋に戻る前に、その大きな銃は守衛さんに預けていってくださいね」
 そう言って、きびすを戻す彼女。数歩歩いて────立ち止まる。
「マットさん。────あなた、悪い人じゃないわね」
 後ろを向いたまま、ぽつりと言う彼女。
「最初に言ったかもしれないけど、もう一度忠告しておきます。......あの子達と、深く関わらないほうがいい。きっと、後でつらくなる」
「リュシュカさん......?」
「......それじゃ」
 返事を断ち切るように、廊下の向こうへ歩いてゆく彼女。
 俺はそれ以上声をかけることができず、ただその後姿を見送るしかなかった。

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