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謀られた黄昏U

7th photon belts

 脳裏に浮かんだのは、小さな手。

 黒と灰の大地。儚く弾け散る水滴。遠くにまだら模様のように赤い光がちらちらと滲む。
 全身は鉛のように重く動けなかった。
 服や髪はゆっくり細く降る雨を吸い込み、その重さを増していく。
 やがて前髪から滴り始めたしずくはほのかに赤みを含んでいた。
 足許には瓦礫。それに半身が埋まった女性。
 何故だ。──彼らを守りに来たはずだった。
 女性はもう神の許に召されている。その背中には無数の銃創が刻まれていた。
 腕の中から子供の身体が半分見えていた。土気色の小さな腕がその腕にすがるように添えられている。
 神に祈ることはできない。……行使したのは我々だった。
 その姿に、ただ立ち尽くすしかなく。

 ──小さな腕が動いた。

 いつの間にか、子供の視線がこちらを向いていた。
 俺の顔を凝視して……その小さな手を伸ばす。
 固まっていた身体がその瞬間動いた。
 もう子供の命は助からないと悟っていた。けれど俺の腕はその小さな手に伸び──触れようとしたその瞬間。
 俺の身体は右に大きく傾いだ。濡れた大地に身体が打ちつけられる。
 血臭が鼻を突いたが、痛みはどこか他人事だった。
 差し伸べられていたはずの腕を見る。既に力を失っているようだった。
 その位置からは子供の表情は窺い知れない。だが俺の顔を射抜いたその視線は色濃く精神に焼き付けられていた。

 何故。
 問うことしかできないまま──意識は闇のうちに沈んだ。

 

 少女はまだ血臭が濃く残る廊下を歩き続けていた。
 鉄錆めいた匂いはその密度を一層深めていく。
 先程まで後方に従っていた巨人は今少女の数歩先を歩いている。彼女の言いつけどおり『眠っている人』を避けているため、その動きは緩慢だ。
 その『眠っている人』の姿が途切れた。
「……105人か」
 歩みを止め、少女が呟く。
「今まですれ違った中にはいなかった……まだ大丈夫なのかな」
 うつむいていた顔が、はっと上がった。
 少女の脇にある扉の奥から小さい──集中していなければ聞き過ごしてしまいそうな、小さな落下音がした。
「……ベリファ」
 囁くようにそう言うと、少女は部屋の様子を窺う。
 反応はない。
 少女はしばらく無言で佇んでいたが──扉の正面に一歩足を踏み入れる。自動ドアが油圧シリンダの音とともにスライドした。
 間髪鳴る銃声。
 だが銃弾は彼女を逸れ、後ろに待機する巨人の被る布に孔を穿っただけだった。
 小柄な女性が少女に向かって銃口を向けていた。
「……アヤ?」
 少女が驚きの声を上げる。
「レ……ニ」
 女性──アヤは銃口を下げた。
「──そうだったわ。12月1日だったのよね」
 12月1日。
 本日付で少女は第三種生物研究所へ配属されるという辞令を受け取っていた。
「無事だったんだ」
 少女──レニは彼女に向かって歩み寄る。
「何とか」
「甘いなアヤは。そんなんじゃ自分の身も守れないでしょ。ここに入ってきたのが僕じゃなかったらどうするつもりだったの」
 アヤはレニの隣にいる巨人の姿をみると軽く目を見張ったが、完全に彼女に従っていることを見て取ると、傍らの椅子に浅く腰掛けた。
「忘れてたわ……でもよくここまで来られたわね」
「人の気配を避けてきたから」
 何気なくレニは言い放った。
「でも残念だわ。ラボはご覧の通りよ……あなたにはとびきりのプレゼントも用意していたのだけれど」
 アヤが疲れた表情で、何とか微笑を作ろうとする。
「ごめんなさい」
「いいよ、僕のことは。わざわざ解雇通告なんてしなくても……あいつらには関係ないみたいだし」
「……そう」
 レニの返事を聞いたアヤの表情が、一瞬ゆがむ。
 軽く苛立ったようにレニが唇を噛んだ。
「アヤのせいじゃないだろ……アヤが手を下したわけじゃない。悪いのはあいつらだ」
「……ありがとう」
 アヤの手が、軽くレニの髪に触れる。
「──でも、私は責任者だから」
 その癖毛に触れていた指が──止まる。
 複数の靴音が近づいてきていた。先程アヤが撃った銃声を捕らえたのか。
「ベリファ!」
 レニの号令が飛ぶ。
 足音の主達が彼女達を発見した瞬間、FN P90──短機関銃の銃口を揃って彼女達へ向けた。
 同時に、巨人の身体が彼女達に覆いかぶさるように前に出る。
 間髪撃ち出される規則正しい無数の破裂音の合奏。
 巨人のかぶる布から赤黒い液体が滲み出し──広がっていった。

 

「タイムにはここの周囲500mに特殊な力場を張らせます」
 子供達の能力──『特性』について、リュシュカさんから簡単にレクチャーを受ける。
「マットさんと私は指揮者としてこの力場の中から彼らに指示を出します」
 彼女は言葉を区切り、俺の顔を見つめた。
「気がひけますか」
「──いや」
 心を読んだかのような彼女の問いに、俺はかぶりを振る。
 彼らの仕様書──この言い方はひっかかるが、身体構造などについての資料はこの訓練に参加する前にざっと目を通してあった。その資料が事実だとしたら、人である我々の身体は彼らに比べてあまりに脆い。
 タイムの特性、【聖盾(アイギス)】。その能力は指向性の制御。あらゆる方向や速度を支配するその力場は彼女を中心に張り巡らされ、その半径が小さいほど強力精密となる。
「ミントにはあなたの命令を他のKittenへ伝達させます。前衛はシナモン、マロウ。セージとローレルはサポートを」
「──敵の正体が分かっているような口振りですね」
「ここにこの子達がいると知っているならば……対抗できる兵器はひとつしかありません」
 ラング博士の傍らに佇んでいた銀髪の少女を思い出す。
 アクセラ。戦った時の記憶はまだ鮮明に残っていた。脆弱な人の身では躱すことさえ難しいだろう。
 捕捉されたら最後だ。
「ミント」
 リュシュカさんが後ろを向き手招きする。他の子供達に情報を伝達していたミントはすぐ振り向き、こちらに駆けてきた。
「なるべくたくさん手駒がほしいわ。利用できそうなものを探って。使えるものは何でも使いましょう」
 彼女の言葉に、ミントは空をゆっくり見回す。──やがて。
「……あそこに」
 ミントが白銀の眼を上空に向けたまますっと一点を指差す。
「コンピュータ制御の無人戦闘機が40機」
 リュシュカさんはじっとその一点を見つめる。
「そう。……超高高度に監視者がいるのね」
 ミントは黙って頷いた。
「コントロールを奪える?」
「やってみる」
 ミント──【魔人(ロキ)】は再び空の一点を凝視する。
「それから……」
 視線を元に戻したリュシュカさんの動作が凍った。
 彼女の視線の先を追う。
 丘の上に立つ銀髪の少女と眼が合った。そのまま少女は後ろを振り向き、後方に合図を送る。
 馬鹿な。早すぎる。
 驚愕が一瞬の隙を生んだ。しかし身体は反射的に少女の方向へ銃口を向ける。
 ──いない!?
「シナモン!」
 ミントの声と同時に少女とシナモンの姿が金属のこすれるような不快な音と共に現れた。
 激しく衝突して跳ね返ったのか、双方とも無数の火花を散らせ数十メートルは吹き飛ばされる。
「いってぇ……」
「シナモン、群体の0.05%が欠損した。正面からぶつかるな」
 ミントの冷静な声がシナモンの背中にぶつかる。
「ならあの手か」
 言うなり起き上がろうとした不安定な体勢のシナモンに、いつの間にか接近していたアクセラの腕が伸びる。
 俺は銃爪を引いた。目標は少女の肩。
 ──だが銃弾は消失する。
 少女は何事もなかったかのようにそのままシナモンの腕を掴んだ。
「マット、アクセラ達の周囲には斥力場のようなものが発生している。シナモンの損傷もそのせいだ」
 FN57では虫に刺されたほどにも感じないという訳か。
 少女の腕がシナモンの身体を持ち上げる。
「シナっ……」
 声と同時にシナモンの身体が地に落ちた。身体に少女の胴体をつないだまま。
「……カリギュラ」
 リュシュカさんの呟きを、俺は呆然と聞いていた。
 カリギュラ──【暴君】。
 鋭利な剣で切り落とされたかのように、少女の両足は膝を境に切断されていた。
 しかしその表情に苦痛はない。そのままその両手がシナモンの身体を固定する。
「離せよっ」
 身体をよじるシナモンの元へアクセラ達が殺到する。
 悪夢のような光景だった。同じ顔、同じ身体つきの少女が、何十体とこちらへ迫ってくる。
 吼える声。自らの身体にしがみつく少女の胴体を振り回しながらシナモンは別の個体に体当たりしていく。それでも少女達はシナモンを取り囲み、押さえ込もうとする。
 閃光が走った。金属が軋むような音。少女達の身体の隙間から光が零れ放射線状にまっすぐ伸びた。光の線は少女達の身体に接触する刹那、金属同士がこすれあうような異音へと変わり火花を散らせる。そのまま光は膨張しシナモンとアクセラ達を包み込み、その半径を広げていく。
「シナモン!」
 異音は可聴域の限界を超える直前金属を跳ね返すような音と共に停止した。入れ替わるようにシナモンの吼える声が続き──止まる。
 光球が収束していく。凝視し続けたため視界はすぐに元には戻らなかった。
 やがて浮かぶ輪郭。中央に佇むその影は──
 しかし俺は言葉を失ったまま動けなかった。
 ところどころに転がる切断された身体の破片が、ばら撒かれるように転がっている。
 シナモンは笑っていた。全身に乳白色の液体を浴びながら。
 湧き上がる生理的悪寒。リュシュカさんはその視線を後ろに逸らしている。
「──」
 吐いた息に溶け込みそうな呟きを誰かが咎めた。
 傍らに立ったマロウ──【鉄槌(アイオーン)】が俺の顔をにらみつけていた。
「今更怖くなったの?」
 嘲るような口調。返事はできなかった。
 そうだ。『ヒト』は彼らをそのように作った。余儀なく起こる生理的嫌悪感も、彼らにとっては謂れなき非難にすぎない。
「与えた命令は『リュシィを守れ』──そうだろう?」
 歪んだ口許。だが。
 俺を凝視するその瞳の色は澄んだ緑だった。
 その目が俺の背中を押した。
「その通りだ。だがもう一つ付け加える。──『どんな手を使ってでも生き残れ』」
 大きく見開かれる瞳。唇を噛み締め……マロウはそのまま返事をすることなく、走っていった。

 そうだ。
 マロウの、子供達の背中を見つめ、俺は心の中で呟く。
 俺は既に大きな罪を負っている。お前達の分が更に積み上がったところで今更どうだというのだ。
 全部俺が背負ってやる。だから──生き残れ。

「──マット!」
 セージの声と殺気に反射的に身をそらす。数メートル先に、受身をとった少女の姿が現れた。
 再びその腕が伸びる。──だがその腕は俺の袖をかすり空を掴んだまま眼前から消えた。かすった袖口は黒く炭化している。
「遅えよっ」
 代わりにセージの姿が現れる。
 【神速(トリスタン)】。その機動速度は極音速に達する。
 少女の身体が数十メートル先に現れ転がった。その身体が地面に衝突すると同時に爆発が起きる。爆風に乗る無数の対人用ベアリング弾ががこちらに迫ってくる。
 子供達を引き連れ地下へ移動してくる途中でトラップ──子供だましのようなクレイモアを可能な限り仕掛けてきた。その一つに触れたのか。
 反射的にリュシュカさんをかばう位置へ動いたものの、その面威力を全て受け止めることは不可能だった。抗えない力に抱え込んだ彼女の身体ごと持っていかれる。
 俺と彼女の身体は建物の壁にぶつかり、跳ね返って静止した。
 小さな呻き声が聴こえる。彼女を抱えた腕に重みがかかる。
「マット、リュシィ!」
 タイムの声が聴こえたような気がした。
「タイム、六時の方向へ100メートル。シナモン、マロウ、セージ、タイムの力場からあまり離れるな。カバーできない」
 ミントの声にかぶさるように、先程とは比較にならない大きさの爆音が耳をつんざき地響きと共に伝わってくる。
 だが、爆風は来なかった。
 ぼんやりと力場の外側を眺める。空気の色は変わっていた。
 アクセラがいた位置を中心に100メートルほどの建物が根元を残して吹き飛んでいた。残ったものは、黒く焼けた建材と砂だけ。
 タイムの力は爆音の伝播をも防いだらしい。おかげで鼓膜がイカれずに済んだようだが、周囲の音は全く聴こえない。

 今更ながらに俺は得心する。
 彼女達アクセラに銃器など必要ないのだ。亜音速で標的に迫り、接触の衝撃で目標を紙くずのように破壊する。
 仮に接触を避けアクセラを斃せたとしても、彼女達自身が強力無比な爆発物となり周辺を焼き払う。
 何という──戦略兵器だろう。
 しかも彼女達は尽きることなく迫ってくる。一体が爆発しただけで50メートル四方を吹き飛ばす威力だ。数百体がまとめて爆発すれば、一都市まるごと焦土と化すだろう。
 だが、最初にシナモンが『解体』したアクセラの身体はその爆発を起こさなかった。また先程爆発を起こした少女の周囲には別の個体が数体いたはずだが、彼女達が一緒になって誘爆した感触はない。
 ということは起爆剤に当たるモノがあるはずだ。原理は分からないがそれを彼女達自身がコントロールしていると思われる。外部から操れるモノならば数体まとめて爆発させ、より確実にこの場所を焼き払うだろう。そのほうが効率がいい。
 起爆スイッチをいれずに彼女達を無力化し続ける。
 それには当初の予定通りローレルとセージ、そして──可能なら俺がアクセラ達の足を止め、シナモンとマロウに『解体』させ続けるという作業を機械的に繰り返すしかない。
 アクセラ。俺を許すな。──俺はただ、守りたいもののために走ることしかできない。

 そのとき。腕の中のリュシュカさんが意識を取り戻した。

 

 私はしばらく意識を失っていたらしかった。
「大丈夫ですか」
 聞き覚えのある声。
 胸許に赤黒い染みが広がる。目の前に覆いかぶさる青年の前髪から零れ落ちたものと気がついたのは反射的にその顔を見上げたあとだ。
「ああ……汚してしまいました」
「──そんなこと」
 慌ててハンカチを取り出そうとし、部屋に置いてきてしまったことを思い出す。
 上着のボタンを外し力任せに裏地を引っ張ると、縦に長く裂けたそれを手に巻きつけ傷口を探ろうとその額に触れた。
 その手が一瞬止まる。
「マットさん?」
 彼は微かに微笑って腰のホルスターからハンドガン──FN57を取り出した。
「……これは」
「もし、俺が狂ったら」
「くる……う?」
 途惑う言葉にかぶせるように彼は続ける。
「ヒュゲルベルの仲間のように、俺が狂ったら──」
 彼は銃のグリップを無理やり私に握らせた。
「俺はきっと貴女のことも殺そうとするでしょう。そうしたら……」
 次の言葉に、私は自分の耳を疑った。

「俺を──殺してください」

 私は反射的に手許の銃に落としていた視線を彼の顔に戻した。
「何……言ってるの」
 声が震える。
「そんなこと──できるわけ」
「眉間に撃ち込んでください。……大丈夫、外しませんよ、『貴女なら』」
 私は言葉を失う。彼は私の言葉の意味を『故意に』取り違えた。
「──ふざけないで、こんな時に」
「こんな時だからですよ。きっと……殺さなければ止まらないんです」
「そんな言葉は聞きたくないわ。それより──」
 布越しに伝わってきたのは、尋常ではない体温だった。
 こんな体温で人間が動けるわけがない。蛋白質凝固の温度を軽く超え、もはや生存不可能な域に達しているはずだ。
「──タイムの傍にいてください」
「待っ……」
 呼び止めようとした声を、自分の心が止める。
 何を言うつもりなの。

 人は知らないでいることで、罪の意識を回避することができる。
 ヒュゲルベル。私は二年前彼の地に降り立たなかった。
 テロリストが街を占拠したという知らせが入って48時間。その間に私とあの子達は目標から10キロの地点で待機し、始動の時を待った。
 三年の成果を実証するため。子供達の身体には小型カメラを取り付けてあった。
 制圧にかかった時間はわずか二時間。だがその間、最後までモニターを正視し続けたのはわずか二人だけだった。
 一人は私。一人はアヤ先輩。
「……ふぅ」
 モニターの画像がサンドノイズになっても私は画面から目を逸らせずにいた。──先輩の深い吐息を聞くまでは。
「頑張ったわね、リュシィ」
「指揮担当ですから……先輩こそ」
「責任者だもの」
 苦笑に滲み出る疲労感。
「ますます悪評が高まってしまいそう。『耐えられる』ことと『感じない』ことはイコールではないはずだけど」
 ゆっくりと先輩は立ち上がって、伸びをする。
「とにかく、あとは事後処理だから少し寝なさい。48時間で仮眠二回でしょ」
「……はい」
 何とか笑顔を作った私に、交替要員が来るまでの待機を伝えると先輩は静かに部屋を出ていった。
 私は既にブラックアウトしたモニターに視線を戻すと大きく息を吐く。
 頭の中では先程の映像が反芻されていた。
 先輩は私を気遣ってくれたけど、私が疲弊しているのは先輩が考えている理由とは多分違う。
 叢を疾走する子供達。朱く染まった明星草(イルミア)の花は既に月の光を跳ね返すことはなく。
 ……地に斃れる人の姿は、ヒュゲルベルの住民達と海軍の兵士達。もっともそれは予想済みのことで──テロリストの何名かは軍を離反した者達だと聞かされていた。
 だからこの映像に誤りはない。ないはずだけど。
 出来損ないのジグゾーパズルを強要されているようだった。どこかに、合わないピースがある──

 『二年前の死亡記録』と『ヒュゲルベル』の単語を聞いた彼の反応。
 記憶を引き出したのはこの二つ。
 でも私の知っている彼はテロリストの姿にそぐわない。
 私の知らない彼がそこにいたのか。
 それとも、そもそもテロリストなど存在しなかったのだとしたら──?

 何が正しいのか、今は分からない。考えている余裕もない。
 けれど、もし彼があの地に立っていたのなら。
 ──彼を殺したのは私かもしれなかった。

 

 ショルダーホルスターに収めていたデザートイーグルを取り出し、弾倉を引き抜く。
 別の弾倉を取り出して印を確認し、差し替える。
 弾は.50アクションエクスプレス弾を改造したもの。先端に特殊な気化性燃料と発火剤が封入されている。

 二年前。作戦の二時間前に、予防接種と称する薬剤を投与された。
 ヒュゲルベルは山の麓にあり周囲の街とは孤立している。周辺の草原や雑木林に住む野生動物はその身に寄生虫を飼っているとの話で、それへの対策と通達が出ていた。
 その薬剤が体質に合わなかったのか、俺は作戦直前に悪寒と吐き気に襲われ──作戦開始時間の集合に少し遅れた。
 何とか不調を押さえ込み、集合に合流しようとしたときにそれは起きた。
 人のモノとは思えぬ、呪詛じみた唸り声。
 銃音が鳴った。仮眠倉前で集合していた隊員の一人が放ったものだった。
 それが契機となり、銃口がお互いを、付近で我々を覗いていた街の住民を向いた。
 止められなかった。再び身を襲う悪寒と吐き気と共に、暴走し始めた仲間を見ているだけしかできなかった。

 残されたのは──仲間達の死体と、テロリストから守るはずだった一般市民の死体。
 漠然と、原因はあの予防接種だと直感していた。

 降り始めた雨の中立ち尽くした──あのときの喪失感。
 試練とも思える生還。戻ってきたところで、帰る場所はどこにもなかった。
 死亡扱いになっていたことは、『プルートニク』への所属の要請を受けた際に『教授』──クレイグ大尉から直接説明を受けていた。
 そして、自分も薬剤を投与されているという事実が、俺の精神を絶望の淵に追いやった。
 家族の許へも戻れなかった。特に禁止こそされなかったが『いつか仲間達のように狂ってしまうのではないか』と考えると──身動きが取れなくなってしまったのだ。
 まだ動けぬベッドの中、ただ死を思った。だが、今まで生き延びてきたのは──

 思考が中断された。
 まただ。
 『誰か』の、呼ぶ声。
 漠然と、ラジオのノイズのようだと思った。頭の中をかき回される──周波数をさぐるかのように。乱暴な操作に苦痛を感じる。
 やがてノイズは目減りして、明瞭な言葉を伝達し始めた。
『あなたは彼女を守りたい?』
 思考に割り込んでくる意思はおかまいなしに話し出す。
 ──誰だ。お前は。
『助けたいのね、彼女を』
 そんな当り前のこと、確認するまでもないだろう。
『力を貸してあげるわ』
 ……何だ、それ。そんな都合のいい話がある訳。

「マットさん?」
 動かなくなった俺を懸念するようにリュシュカさんが声をかけてくる。
「……何でも」
 反射的に返事をするが、不快感は増すばかりだ。
『ああ、気持ち悪いのね』
 途端に何かが切り替わる。
 湧き上がってくるものがある。不快感はそのままだが感情の伴わない高揚感がそれを包み込み、うやむやにしようとしているようだ。
『──これなら?』
 くすくすと笑いながら訊ねる声を俺は不快に思う。
 俺の身体……いや、頭はどうしてしまったというのだろう。とうとう精神的にイカれたのか。
 いや違う。その声を受信したときに、既に俺の脳の動きは声の主に掌握されていたのだ。でなければ──
 左目を手で覆う。敵の姿は見えない。だが右の目を覆えばこちらへ向かって亜音速で疾走する『見えない』はずの敵の姿。
 右目と左目が違うものを映している。……これが悪酔いにも似た不快感の大元だった。
 バンダナを細く畳み、右目を覆い隠すように巻きつけ固く縛る。
 銃を左手に持ちかえ、左目が映す標的に照準を合わせる。
 自らの血液越しに見える風景。二年前の、最後に見た風景と──記憶と重なっていく。
 目標は──疾走するアクセラの三秒後の着地点。

 銃爪を引き切る。
 大きく広がるマズルフラッシュ。遅れて立ち昇る硝煙。
 俺の眼は冷静に銃弾の射出の過程を確認することができた。
 すぐさま二人目の紙一重の『未来』に照準を合わせる。
 第二射の直後、最初に狙った少女が足許に大気をプラズマ化させる程の超高温の衝撃を受けて転倒する。俺は構わず、第三射、第四射を射ち放った。次々に少女達は銃弾に足をとられ、亜音速の機動であるが故に全身を強く地に叩きつけられていく。
 六発目を数えたところでマガジンキャッチを押し込み、弾倉を落とす。新しい弾倉を押し込むとすかさず銃爪を引く。
 身動きできなくなった少女達を、シナモンとマロウが『解体』していく。

 

 上空一万メートル。
 ──なかなか善戦しているじゃないか。
 ラングはモニターに見入っていた。
 現時点で損失率は10%ほど。だが空白地帯に送り込んだアクセラは一千体。決着がつくのも時間の問題だろう。
 その視線が、ある一点で止まる。
 コンソールを操り、それを拡大表示する。
 銃を射ち続ける青年の姿。彼は確か第三種の軍人上がり──その機械的にも見える連射は、正確にアクセラたちの足許だけを捕らえ続けている。
 人が──アクセラの動きを捉えているだと? ……まさか。
 ラングは足元の鞄からハンドヘルドを取り出し、衛星回線を使用して軍のデータベースにアクセスした。
 ハンドへルドのモニターに映し出された顔写真と文字。
「くっ……ははっ……」
 クルー達がぎょっとして笑い声の主を凝視する。
 ラングは構わず笑い続ける。
 何という皮肉だ。
 ヒュゲルベルでの実験は成功していたのだ。
「──レベル7を奴にぶつけろ」
 ひとしきり笑い終わると、ラングはハンドヘルドをしまいクルーに指示を出した。
「レベル7をですか? しかし、彼女は既に回収済みで」
「構わん。自力で移動させればいい。何のための『理力の枝』か」
 途惑うクルーに、口許に笑みを浮かべて命じる。
「いい余興だ。code*Aの残滓とcode*A'……果たしてどちらが上か見せてもらおう」
 再び席にゆったり腰掛けると、ラングは再びモニターに視線を戻した。

 

「ミント、あとどのくらい?」
「5分あれば──セージ、マロウ、二時方向が手薄だ」
 俺とローレル、シナモンとセージ、マロウは二手に別れ、アクセラの数を減らす作戦を継続していた。
 斃した数は百数十体近くになるだろうか。だがこのままではこちらの消耗が激しすぎる。あとはリュシュカさんが目論んでいる手段が頼りだが──
 空がふっと翳った。
 反射的に上空を見上げる。
 太陽の光を背に、白い羽根が輝く。
 中空に浮かぶ逆光のシルエット。彼女の姿もまた地を駆ける少女達と同じだった。広がり、優雅に揺らめく七枚の羽根を除いては。

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