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七対の瞳

The talk is different

 ──淡い風の吹く夜だった。

 さわさわと草が鳴る。
 明星草の白い花が頭を揺らし、月の光を弾き返す。
 月は蒼い霞でその姿を包んでいる。

 時は午前3時。──夜明け前。もっとも静かで暗い時間。

 優しい木の葉の旋律の中に不協和音が混ざる。
 それはだんだんと近づいて──最後に一際鋭い、木の葉ずれの音が静寂を裂いた。
「……ちょっと、シナモン。そんな大きい音立てちゃだめだよ」
「細けーな。ちょっとくらい音立てたってこの距離だ、逃げられやしねーよ」
 叢から聞こえてくるのは子供の声だ。
「だけど……1人くらい逃げちゃうかもしれないじゃない。博士達、今日は全員捕まえなきゃだめっていってたよ」
「はいはい」
 第三の声が抑え目の口調で二人を制す。
「そこまで。あんた達の口喧嘩のほうが危ないわよ」
 二人が黙りこくったのを確認して少女はちょっと離れた位置で月をじっと見上げている少年に声をかける。
「あたし達はいつでもいいわ。準備ができたらデータを頂戴」
 少年は振り返らず、頭を縦に振ったことで了解の意を示した。
 そこにいるのは少年が四人少女が三人。髪や瞳の色こそ違えど顔立ちは非常に似通っていて、ぱっと見では彼らの区別は難しそうだ。
 歳の頃は六〜七歳。いずれもベレー帽とお揃いの衣服をまとっている。
「……できた」
 やがて、月をずっと見ていた男の子はそう言って振り返った。
 女の子が頷き、男の子にその手を差し出す。男の子はその手を軽く握った。
 やがて他の子供達も彼女の動きに従い、最後には七人の子供の輪が出来上がった。
 軽く瞳を閉じ、俯く。──その姿は秘密めいた儀式にも似て。
「──Shift(移行)」
 男の子が呟く。
 子供達が瞼を開いた。
 その瞳の色は白銀。
「シナモン、セージ、マロウは先陣。ジンジャー、タイム、ローレルは掃討。他の指示は随時。開始は0330」
 無表情に頷く子供達。……ただ静かに時を待つ。
 そして。
「──Anfang(開始)」
 その瞬間。三人の子供達の姿が消える。
 なぎ倒された草が、彼らが在り得ない速度で叢へ駆けたことを示していた。


 男は息を切らせながら窪地の中に潜んでいた。

 唐突に警告音が鳴り、一瞬にして止まった。
 それは、中央の指示系統が一番最初に絶たれたことを示しており……脱出間際には仮眠倉で寝ていた仲間の半分はその場で血の海に沈んでいた。
 ……何だあれは。
 混乱を静めようと男の頭は敵の姿を解析する。
 機動音は聴こえなかった。ということは白兵か。しかし、敵の気配はすれどその姿は見えない。
 その見えない敵に、ただただ倒れてゆく仲間達。
 ……心の中で、妻と子供の名を呼ぶ。
 ここで死に、そして朽ちていくのか。
 男は頭を振り──弾倉の量を確認する。
 今は考えるな。……生き延びることがまず先決だ。
 そう思い、体を動かした瞬間──後頭部に金属の硬い触感を感じた。

「どうして隠れないの? そんな簡単なところにいるから、すぐ見つけちゃうじゃない」
 無邪気な声。
 男は振り返り、銃を構え──絶句する。
 背後には月。
 小さい手に不釣合いな大きさの銃を持ち、自分に突きつけてるのは子供。
 その表情は笑顔。鬼ごっこで、他の子供をつかまえた時のような。
 ──敵の姿が見えなかったわけじゃない。自分の感情が記憶から彼らの姿を消去していただけだった。
 そして。その思考が彼の時間を止めた。
「ばいばい」
 目の前の子供の姿が紅いフィルターで染まる。
 男は自分の子供の名前を呟き──そして、動かなくなった。


 朝。皆が会社に向かいごった返す時間。
 俺は急いでいた。……異議申し立ての為に。

「おはようございます……え? あの?」
 受付嬢の甲高い挨拶を無視して俺は奥の部屋へずんずんと歩いていった。
 目指すは総務室。手には握り締めてしわだらけの、昨日夕方に届いた業務通知。
「困ります、こちらを通してもらわないと……」
 困惑しきった細い声がフェードアウトして俺の背中の向こうで聞こえてきたがそんなもの構うものか。
 『Office』と書かれた扉を俺はノックもせず勢いよく開いた。
「……何だね軍曹」
 正面の机に座っていた奴は、動じもせず椅子をぎっと回してこっちを向いた。
「扉をノックするくらいの礼儀はわきまえて欲しいものだが」
 俺は構わず奴の机の正面に業務通知を叩きつける。
「お前、わかってんのか!  俺は傭兵なんだよっ!」
「あぁ、よくわかってるつもりだとも」
 奴は意地の悪い笑顔を浮かべながら俺を見据えてそう言った。
「──何か不満でも? いい仕事だと思うがね」
「今度の業務だがなっ!」
 俺も負けじと奴の顔に詰め寄った。
「この最後に書かれている『子供の保育業務』ってのは何なんだよっ!」
「──何かと思えば」
 奴は椅子にもたれかかり、わざとらしく眼鏡を拭き始める。
「怪我が完治してないにもかかわらず、職場復帰をむりやり願い出たのはお前だろう」
 もう一度眼鏡をかけなおして、改めて俺を見る。
「我々は人事だ。人事は怪我人を戦場に送ることは出来んのだ」
「よく言うぜ。人間を効率よく戦場に送り込むのが仕事な癖に」
 俺はそのまま奴の机の上に座り込む。
 この正面にいる総務で人事のシュテファン・シュミットは俺とかつて同期だった男だ。
 奴はキャリア組だったから道を分かたれたが、新兵だった頃は結構仲良くやってたので今でも割とざっくばらんな口調でやりあう仲だ。
「そう言うな。軍だって民間の論調を意識しないとやりづらいのだよ」
 皮肉めいた口調で奴が言うので、俺は机に乗せてた身体を下ろした。
「……ってこたぁ、この人事お前の指示じゃないってことか」
「──お前に言えるかそんなこと」
 確定だ。こいつだって理不尽な要求には食ってかかるほうだから、よっぽどのことだったんだろう。
「まぁお前でなくてもよかったのも事実だが、現時点での条件に合うのがお前しかいなかった。それだけのことだ」
 俺は溜息をついて、手近にあった椅子に座り込んだ。
「決まっちまったんだったら仕方ねえけどよ。……けど説明しろよ、何で傭兵の俺が子供の世話なんかやらなきゃいけねえのか」
 俺がそこまで言った時。
 軽いノックの音がした。
「失礼します。──あら」
 扉を開いたのは、書類の束を抱えた小柄な女性だった。
「先客でしたか。……改めます」
「いや、構いませんよ。むしろちょうどいい」
 奴が立ち上がり、俺の横に立った。
 俺は女性に失礼に当たらないように、慌てて椅子から立ち上がった。
「彼女はリュシュカ・ミラー博士。『Code*E』のプロジェクトの末端に属している。……ミラーさん、彼がマティアス・シーヴァーズ軍曹だよ」
 奴が俺をそう紹介したってのは──彼女には既に俺の名前を通知済みってことか。
 彼女が軽く微笑み──俺は彼女に頭を下げた。

 『Code*E』。俺は軽く緊張する。
 それは軍の中で最大の機密であり──名前こそ有名だが、その内容について知っているのは当の研究者か上級大将か、はたまた諜報機関の人間かってなもので。
 おおよそ前線専門の俺には全く無縁の単語のはずだった。

「どっちにしろ、お前には来てもらう予定だったんだ。子供達を、お前に紹介しなきゃならないからな」
 そういうとシュテファンは彼女の方へ向き直った。
「もしこの後時間が空いてるようなら、こいつを案内してやってください。ついでにこき使ってくれてもいいですからね」
 ……おい。
 奴の軽口を聞きながら俺は苦笑する。一方彼女はというと奴のそんな言葉を微笑ですいっと受け流し、言った。
「シーヴァーズさんがよろしければ今からでも」
「……だそうだが」
「俺は構わねぇよ」
 ……そもそもここへは怒りと当惑に任せて来た訳で、この人事が奴の指示でないとするならば俺は今から帰って顔も会わせたこともない上級士官やら神様やらに愚痴や文句をこぼしながら不貞寝するぐらいしか予定はなかった。
「では、頼みますミラー博士。……ったく、私の言うことは聞かないくせに相手が女性となるとこれだ」
 ──奴は台詞の後半を俺の耳許で彼女には聴こえないように呟いた。

 廊下を会話もなく歩く。
 義務教育を終えた後すぐ士官学校に所属した俺はいかんせん女性との接点がなく──こうやって二人きりになるとあまり口が利けなくなる。
 リノリウムの床に、彼女のヒールの音だけが高く響く。
「シーヴァーズさん」
 かつん……と彼女の歩みがとまる。
「はい」
「急なお話で大変当惑されたと思います」
「あぁ……まぁそりゃ」
 軽く自己嫌悪。いくら何でももうちょっと気の利いた返事ができないのか、俺。
「けれど私達には、どうしても必要な人材だったんです。……短い期間だと思いますので、ちょっとだけお付き合い下さると嬉しく思います」
「……まぁ、俺でできる仕事なら」
 おずおずとそういうと、
「有難うございます」
 そう言って、ミラーさんは優しく微笑んだ。
 うわ。……やられた。
 俺はこの手の、大変申し訳ないんですけど、という言動に弱い。何というか、俺でできることなら頑張らせていただきますってな気分になっちまう。
 それを、年齢は下だと思うけど俺より目上の立場の、しかもそこそこ美人なお嬢さんに言われたら。
 ……えぇい。何とでも言ってくれ。

 もう一度廊下を歩き始める。
 突き当たりで彼女がセキュリティ・ウィンドウを覗き込んだ。
 かちゃり。錠が外れる音がする。虹彩認証か。
「シーヴァーズさんにも、近々ID登録を行ってもらう予定です。……ですが少々お時間を頂戴しなければなりませんので、今しばらくは入退室の際に私を呼び出してもらうことになるでしょう」
 彼女がそう説明してくれる。
 目的の部屋は、すぐそこだった。
「勤務の場所はここになります。──けど、あの子達まだ寝てるかもしれないので……挨拶させられなかったらごめんなさい」
 そう断って彼女は扉を開けた。


 そこは、広い部屋だった。
 家具らしい家具は何もなく──組み立て式のジャングルジムやら子供用のベッドが点在している。
 ……けど。何と言ったらいいのか。
 ベッドがあるにもかかわらず、子供達は部屋の片隅、あるいはジャングルジムの上、はたまた部屋の真中に転がってるタオルケットにじゃれるようにしてそれぞれ固まって寝ていた。
「ほーら、起きて」
 ミラーさんが大きな声で子供達に声をかける。
 子供達はうとうとと目を覚ました。
 その途端、俺は強い圧迫感を感じた。
 子供達の、七対の瞳──それが俺を射るように見つめていた。

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