淡い青みを帯びた銀髪を頭に抱いた少年が廃墟に現れる。
ミント──いや、ミントに偽装したローレルだ。建物の陰からちら、とアクセラを見る。彼女は現在いぶり出しの手をとめ、緩やかに空中に静止している。
†
意識にはそのローレルの目から見た空と彼女――アクセラの映像が浮かんでいた。その一方で、高層ビルの内部の映像が同時に意識できる。
「大丈夫ですか」
リュシュカさんが俺を気遣うように声をかけてくる。
「はい」
静かに微笑って答えた。負担こそ大きいものの、俺の身体は違和感なくその状況を受け入れている。自分自身がコンピュータにでもなったかのようだ。
『マット。目的地にたどり着いた』
ミントの声が冷静に告げる。
『こちらも問題ない』
ローレルも愛想なく応える。
傍らではシナモンがぐったりとした表情を申し訳程度にかけた俺の上着から覗かせている。その小さな手を、セージにもたれかかったマロウが左手で握っている。
タイムは祈るように手を組んで、小さな頭を垂れていた。
「よし」
リュシュカさんを見る。頷きを確認して、俺は二人に告げた。
「状況開始」
†
ローレルが少女の視界を掠めるように、高層ビルの逆方向に走っていく。
高層ビル──60階ほどの建物。廃棄されたその建物の中については確認することができないが、エレベータやエスカレータの類は当然、階段の強度さえ保証できない。下手をすれば組織変性を起こしているコンクリートが崩れるおそれがある。そうなれば鉄骨をたどって昇っていくしかない。
ミントはその高層ビルの中にいる。無駄のないショートカットを即時に選択し、床を、壁を、手すりを蹴り──目的の最上階に向かって昇って行く。
必要な時間は5分。そのタイミングに合わせて、ローレルが追い詰められている振りをしながら彼女をミントのそばへ呼び寄せる──
一瞬スピードを落とす。これも打合せ通りだ。少女がローレルに向けて掌を向ける。
光球が放たれた。最初のモノより直径は遥かに小さい。だが。
「!」
少女は立て続けに2発、3発と獲物──ローレルに向かって撃ち放つ。
あの少女も自律思考兵器なのだ。最初のような規模の大きいプラズマは攻撃範囲こそ広いものの、エネルギーを蓄積するのに時間がかかる。それより攻撃範囲は狭くても、間断なく光球を打ち続け獲物を追い詰めたほうが効率がいい。
プラズマ……衝撃ではないから地をえぐったりということはない。だが撃ちこまれた場所は溶岩と化す。
あれが命中すれば、ローレルの小さな身体は一瞬で蒸発してしまうだろう──
ローレルは大きく瓦解したビルの角を直角に曲がった。一瞬の間だけでも相手の視界から自分の姿を隠し、標準を定めにくくする。焦りを誘えれば少女は自ら高度を下げてターゲットを仕留めにかかるだろう。
その時。光球の一つがローレルの背後十メートルに突き刺さった。
少女は微笑う。
ローレルの足は膝から上を残して消失していた。
──タイムが叫ぶ。
「ローレル!」
同時に、俺の傍らで低い呻き声が聞こえる。
「──リュシュカさん?」
「……──何、で も」
ない、と言い切るには無理のある、血の気の引いた顔色と異常な発汗。
「だい……じょう、ぶ……それ……より…………、あの子達を────」
「リュシュカさん!」
『仕方ない』
俺の意識にミントの声が響く。
『今のアーキタ…──彼女はKittenを統括するサーバの役割を担っている。我々の五感の情報は全て彼女に集約される』
……ということは。子供達が感じる痛み──その全てを彼女は感じているのか?
何て無茶なことを──喉まで出かかった言葉を飲み込む。代わりに、部屋の隅に残っていた毛布を取り出し、その上に彼女の身体を横たえた。
『到着した』
ミントが端的に告げる。
「……Kittenがミリタリーモード2で活動しています。現在中空にいる正体不明の飛行物体と交戦中と思われるわ」
マリエが地上の様子を探っていた計測機械の値を読み上げる。
研究員達は息を呑む。
「どうして──Kitten起動用の端末は破壊されて、無力化されたままのはずなのに……」
†
少女の掌に次のプラズマが光り出す。
その瞬間、目の前の青味がかった銀髪の少年の姿が歪み──本来の姿へ変わる。
ローレルが嗤う。少女はひるんだが──光球を打ち出そうと照準をローレルに合わせた。
その瞬間──脇のビルの壁が爆薬で吹き飛ばされたかのように爆ぜる。
舞い散るコンクリート片と煙の破りミントが飛び出した。
場所は少女の真上5メートル。
ローレルに合わされた照準は外し──少女は地上に向けていた身体の向きを今しがた飛び出したミントへと向ける。
そのまま光球は掌から撃ち放たれた。今までで一番小さなサイズ、だが至近距離。
白い光がミントの身体を包み込む。──しかしその高熱のプラズマの向こうから蒸発したはずのミントの姿が現れた。
驚愕の表情を浮かべる少女の身体にミントの抜き手が突き刺さる。
ミントの身体は少女の身体を突き抜けた──ように見えた。
そのまま落下していく身体は器用にその向きを換え、舞い散る破片やビルの壁、むき出しの鉄骨を蹴り、つかみ、飛び上がりながら軽々と地面に着地していた。
……やった、か?
『マット、すまない』
ミントが悔しさを滲ませた声で呟く。
『──外された』
少女の姿はまだ空中にある。その身体には大きい外傷は見当たらないが──
『肺と心臓を繋げてやるつもりだったのに』
ミントの能力ならばそれが可能なのだ。接触した相手の分子構造を分解、再構築するその能力は、その存在の在り様を書き換える。
成功していれば、心臓から送り出された血液が肺を満たし、空中にいながら溺死というなんとも残酷な結果に終わっていただろう。
だが、そこには焦りがあった。そんなことをせず、単純に心臓を貫くだけで死という結果は同じだったのだから。
仲間を傷つけられた怒りは、冷静なミントにさえ、こんな単純なことを忘却させるに十分だったということか。
だが、ダメージはゼロではなかったらしい。空中のアクセラは心臓に手を当て、苦しんでいるようだ。その証拠に高度が先ほどより落ちてきてる。少なくとも心臓付近の血液の循環を妨げることには成功したらしい。
だが、楽観できる状況ではないようだ。
アクセラは高度を落としながらも、再び右手に大気を伝播させながら光球をつくり始めていた──
これまでに無いほど、凶暴凶悪なエネルギー量を蓄えながら。
†
アクセラの掌に集まる光の奔流。視線の先には、ミントと──片足を失ったローレルがいた。
光球はその大きさを増していき──
「レベル7、予定を5分過ぎた。すぐに戻れ」
ラングがモニターに向かい銘じる。──その時。
「『世音』のレーザー標準を確認しました! あと1分でこの空域は飲み込まれます!」
クルーは無言で顔を見合わせる。
「聞いたとおりだ。総員、現空域より急速離脱」
機内が騒然とする。
「推力最大。退避ルートへ」
沈黙したままラングはモニターを凝視し続けた。
奥歯を噛み締める。レベル7の回収は不可能か……今すぐにでもこの空域を脱出しなければ、この機もろとも蒸発してしまうだろう。
「……ヘル・ラング」
「私に構うな」
話しかけたオペレーターはラングの言葉に途惑っていたが──やがて離脱に同意したと判断し、自分の持ち場へ戻っていった。
巨人機はその航路を放射状の軌道に切り替え、周回空域から離脱していく。
モニターの向こうでは、アクセラが『世音』の戦域攻撃を察知したのか、視線を上空へと向けていた。
地上に向けていた光球を迫り来る不可視のエネルギーに向かい撃ち放つ。青白いプラズマ光は『世音』のマイクロウェーブと接触するが、霧散することなく白い燐光を発したのみで突き抜け、『世音』本体のある成層圏へと昇っていく。
その直後、不可視のマイクロウェーブが純白の光を伴い少女の身体を包んだ──と思われた瞬間、その身体は巨大な光の翼に包まれ、弾き飛ばされたように方向を変え、弧を描きながら、地平線の彼方へと堕ちていった。
アクセラに接触したことで巨大な高熱のプラズマミストと化したマイクロウェーブが、可視できる脅威となって、Kittenとマットたちの頭上に迫りつつあった。
ローレルはその破壊の光――網膜を焼くプラズマミストを凝視していた。
唐突に──黒い靄が、生まれた。
†
「鳥が」
「白い鳥が」
子供達が大きいモニターの前でさざめく。
「アクセラが放ったプラズマボールが『世音』に接触しました。照準誤差1%以内ですが、マイクロウェーブが可視化します」
傍らにたたずむ少年が報告するのをマリアは黙って聞いていた。
「……儚いな」
やがて、呟く。
「元始の鳥はこの程度では力尽きなかった──所詮は紛い物か」
マリアは立ち上がる。その足許に、年端もいかない少女達がかしずく。
「この程度では、まだ全然アロラウワには届かない。……まして、その手を跳ね除けようなど、片腹痛い」
既に侵蝕は始まっている。
『アクセラ』。『Kitten』。
いずれも、観察者のままではいられなかった彼女──『矢を放つ女神(アロラウワ)』に対抗するための切り札。
まだ。未だ足らない。我々に必要なのは、神の筋書きを越える、究極の破壊者。月を喰らう者(マーナ・ガルム)────
†
突如発生した黒い靄がローレルの身体を中心にその触手を周囲に伸ばす。その濃さを増し、やがて彼の姿はその闇の中に閉じ込められ──一気にその半径を広げていく。
闇と光が接触する。
最初は光が闇を押しているように見えた。だが押された闇は光を取り囲み、取り込んでいく。まるで太陽を喰らおうとする巨大な狼の顎のように──合わせるように地面に亀裂が走り下へ下へ沈んでいく。
「──マーナ、ガルム」
リュシュカさんの囁くような呟きが聴こえた瞬間、タイムの『聖盾』が彼女を中心に急激に膨らみはじめた。
だが『聖盾』のシールドはローレルの身体を包む黒い靄を『受け入れ』なかった。
「ローレル!」
タイムの悲痛な声が響く。
黒い靄と『聖盾』は反発しあい──『聖盾』の中にあるこの空間をもろとも喰い尽くそうとした。接触部分が鋭く光り──ぎしぎしと音を立てる。
「あ……あああぁぁぁ!」
それでもタイムは『聖盾』の強度を上げて耐えようと抗う。
俺はタイムの開いている片手を取り強く握った。
それは単なる直感だったが──その瞬間セージが俺の手を握る。セージの反対側の手にはマロウの手が繋がっていた。力の奔流が再び身体を巡る。
破裂するような音が響いた。衝撃が空間を多い、俺たちを襲う。
大きく揺さぶられ──世界が光で満ちると共に、俺の記憶も断絶した。
†
遥か蒼穹から飛来する超音速の刃が雲を切り裂く。
光の翼のような繭のようなその物体は眼下の原生林に速度を増しながら――激突した。
舞い上がる、数千トンの土砂、かつて大木であったはずの木片、周囲の動植物すべてを衝撃波の刃で切り刻みながら、1500メートルもの地表を削り取りそれは、静止した。
摩擦熱で、火災が発生している森の中で――それは確かに、生きていた。
「──う……ぐ」
叢のなかから低い呻き声が聴こえた。
ゆっくりと少女はうつ伏せになっていた身体を仰向けに返す。切り替わった視線の先には──青い空が鬱蒼とした木々と火災の煙の合間から見えていた。
体は満身創痍。皮膚はあちこち裂けていたし、骨も何本か折れているようだ。
特殊スーツがなければ、死んでいてもおかしくはなかった。
「……はか、せ」
小さく呟く。いつも繋がっているはずのラインを感じられない。統一された姉妹たちの意思が聴こえない。
どうやら地上に激突した衝撃でネットワークから外れてしまったようだった。
渾身の力をこめて上半身を起こす。身体の中で筋繊維がちぎれる感触があったが、構わなかった。放置しておけばそのうち治るだろう。
意識を集中する。伸ばそうとした『枝』は弱々しく、以前のような大きな『枝』にはならない。──これでは、空をたどっていくことはできない。
でも。
「かえ、ら、なきゃ」
脳裏に青みがかった銀髪の少年の面持ちが浮かぶ。
……誰だろう。わからない。記憶の混濁が起きているようだった。
けれど、地表をたどっていかなければならない自分にとっては重要なヒントに違いはない。
ゆっくり、腰と膝に力をこめると少女――アクセラは立ち上がり──どことも知れず、歩き出していった。
†
「……ひでぇもんだ」
クレイグは足許の石を無造作に拾い、穴の中に投げ入れる。石は深く沈んでいき──やがて音もなく闇に融け、消えた。
「これはだめだな」
傍らに立ったミュラーが呟く。穴の直径は推定12キロメートル。どんな大きな重機を用意したとて、その深さを計測することは不可能だろう。
かつて『空白地帯』と呼ばれた土地には──もはや暗黒としか表現できないほどの穴が開いていた。
……この有様では、せっかく手の内にした『生き残り』も失われたか。
「首都でクーデターが起きたようだ」
ミュラーの言葉に、クレイグが顔を上げる。
「──クーデター?」
「軍部の内側でのようだが。現に政治屋共のほうには何の動きもない……第三種が壊滅したのも、その一環のようだな」
ミュラーがフォルダからプリントを一枚取り出し、クレイグに渡す。
「こいつが、首謀者と目されている奴だ」
目を通す。顔写真と簡単な経歴が書かれていた。
「フレドリヒ=オットー……オットー陸軍大将の孫か」
「知っているのか」
「陸軍大将のほうをな。立派な爺さんだったぜ……だが孫のほうは爺さんの血は色濃く受け継がなかったように見えたがな」
揶揄するように言うと、クレイグは胸ポケットから携帯電話を取り出した。
「──何だ」
『シンです。今問題ないですか』
「ああ」
『軍部のデータベースをハックして、死亡確認者リストを入手しました。職員はほぼ全員死亡かと思われます……が、身元不明のものもかなりありますね。襲撃者が施設を壊滅するに至りましたが、最後に残った職員が一矢報いて襲撃者を道連れにしたというところでしょうか』
黙ったまま、クレイグはシンの報告に聞き入る。
かつて第三種のあった場所を、彼も遠目で確認した。
周囲に被害を与えることなく、まるで自重を支えるすべを失ったかのように内から崩壊していった建物。そんなことができるのは組織の中でも重鎮をになっている者だけだろう。
「……死亡確認者リストの中に、『アヤ=ツヅキ』の名はあるか?」
電話の向こうから、端末のキーを叩く音が響く。
『その名前はありません』
「そうか」
しばしクレイグは考え込む。
「シン」
「はい」
「第三種の中から、あるディスクを取ってきてもらいたい」
「あの瓦礫の中からですか?」
「何、探すのは軍の連中にやらせればいいのさ。奴らが見つけ出したら、丁重に御礼申し上げて頂戴してくればいいだろう」
「しかし──」
「レムリア」
クレイグの一言にシンは押し黙る。
「興味ないか? 『そいつ』の遺産に」
しばしの沈黙が続く。
「……あなたってひとは」
シンが大きく息を吐く。
「何だってこうもヒトを無料働きさせるコツを心得ているんだか」
「人聞きが悪いな」
「──けれど、見つからないかもしれませんよ」
クレイグは嗤う。
「その時は、レムリアの作者は生きていて──遺産が遺産じゃなくなるってだけだ」
そのままクレイグは二言三言言葉を交わし……そのまま電話を切った。
――そうだろうアヤ。
†
玉座にも似た背もたれの高い椅子にゆったりと座り、金髪の女は目の前に立つ男を笑いながら見下ろす。
「……久しいな」
「そうでしたか」
一方の男──ラングは無愛想に言い放つ。
「この間は随分派手に遊んでいたようだな」
「何のことでしょう」
「鳥を空へ放つにはまだ早いと思ったのだが」
「……縦横に羽ばたいてもらうには、少しずつ空に馴染んでもらわなければなりません」
「だが、やりすぎだ。空白地帯をえぐってしまうとはな」
ラングの眉が少し潜まる。
マリアは、その笑顔を崩さない。
「あの場所は、お前も良く知る『元始の鳥』が作り出したものだった。あの子には期待していたのだが──寿命であれば仕方あるまい」
「……で?」
ラングはその言葉をさえぎる。
「わざわざ呼び出されたからには、何かしら用件があるのでしょう」
「──あの場所で、『マーナ・ガルム』現象が検知された」
ラングは黙ってマリアの言葉に聴きいった。
「Code E──『Kitten』の中の、ローレルという一個体だそうだな」
「Kittenの……あの欠陥品に……?」
反射的に返したその言葉を聞き、マリアはその笑顔を一層深める。
「『夜』では、対アロラウワのための根幹にその、ローレルという個体を当てることに決定した」
「お言葉ですが」
マリアの言葉をさえぎり、ラングは言う。
「力ではアクセラはKittenを圧倒しています」
「重要なのは強さではない。その、質だ」
ラングは言葉に詰まる。
そんな様子を意に介さず、マリアは言葉を続けた。
「そのローレルという個体だが……現在行方不明になっている。足取りすらつかめん」
「はい」
「──探し出して、つれてくるがよい」
「……善処しましょう」
苦味を含んだ口調で、ラングは応えた。
「いい返事だ。方法は問わない。吉報を待つ」
マリアは玉座を立ち──音を立てずに奥へと姿を消した。
ヴィルヘルム=ミラーの人形。
意志をもたないはずのあの女はどれだけ私から奪っていくのか。
マリアの言葉。──それは暗に、『アクセラの計画の凍結』ということを示唆する。
ラングは部屋を退出し、拳を握り締める。
──あの女。
奥歯を噛み締め──
だが。彼女は言った。『方法は問わない』と。
ならば、まだやりようはある。
やりようは……ある。
第一部・了