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謀られた黄昏W

Fenrir

 首都郊外。小型のバンが路地裏に入り込み、静かに停車した。
 運転手は手早く携帯電話のボタンを押す。
「シンです」
 応答の声に現状を短く告げる。
「ええ、現場から500メートルと言うところです。……はい。分かってます。すぐに──」
 ウィンドウの外に視線を向け──絶句する。
「目標地点……自壊しています」
 硝子がびりびりと震え続ける。
 サイドの遥か向こうで20階建のビルが足許から崩れ落ちていくのが確認できた。
「また連絡します。それと……」
 シンは少し言い淀んだ。
「首都で『何か』が起こっているように思われます。確証は持てないのですが……何と言うか……『静かすぎる』ような。ええ、勘ですが」
 向こう側の声に聞き入る。何度か頷き──
「了解しました。今から動きます。次の連絡は帰投時に」
 電話を切ると同時に後部座席を振り返り、座っている頑強な男達に声をかける。
 車を出たのを確認するとシンは全員に指示を与える。男達は2グループに分かれた。
「よろしくお願いします」
「おうよ」
 もう片方のリーダーとなった男の返事にシンは敬礼で応える。
「行きましょう」
 振り返ったシンに頷くと、男達は施設の裏手を目指して進み始めた。

 

「──早すぎる」
 ジンジャーは茫然と呟く。その様子を静かにクレイグ達は見下ろしていた。
 少女は傍らのポーチから小さい物体を取り出すと、座り込んでうつむいた状態で何かに向かって話しかける。
「……こちら『魔弾』。任務は完了している。これより帰投を開始する。攻撃を停止せよ」
 そこまでいうと、静かにそのまま反応を待つ。だがしばらくすると溜め息をついて腕をぱたっと落とし中空を見上げる。
「どうした?」
 静かにクレイグが訊いた。ジンジャーは振り返らず答える。
「この施設の、私達が入ってきた入口辺りで戦闘が起きている」
「何だと?」
 外からは何の音も聞こえない。
「……分かるの。私の聴力は集中すれば常人の一千倍はあるから」
 再び場に沈黙が生まれる。
「私は目標の生命活動を停めるためにここへ来たけれど、目的完遂の連絡がないまま2時間が経過した場合、攻撃が始まることになっている」
「けれど、まだジンジャーさんと出会って1時間少しくらいでしょう」
 ジンジャーの説明にジーリングが疑問の言葉をはさんだ。
「陥められたか」
 クレイグの声にジンジャーが振り返る。
「作戦の成否はどうだっていいんだろ。お前を隔離した上で始末しようとしている連中がいるわけだ」
「……大尉!」
「甘く見るなと言ったのは嬢ちゃんのほうだぜ、魔法遣い」
 言い捨てるとクレイグはジンジャーに近付き、座り込んだ彼女を見下ろす。
「心当りはあるか?」
「……私自身は『彼ら』の誰よりも弱い」
 ジンジャーはクレイグの顔を見上げ──怯むことなくその視線を跳ね返した。
「けれど、私は全ての『実行者』に相克するアンチ・ヴィラス。思い当るのはそれくらい」
 少女はその言葉とともにうつむき……軽く唇を噛む。
「……あの人達は、死んでしまったのね」
 ジンジャーは小さく呟く。
「退路は……予定していた出口は使えないと考えていい。とすると」
 懐から小さく折りたたまれている紙をクレイグが広げる。先程ボッシュの副官に渡したものと同一のものだ。
「残っているのはこのルートと──このルートになるが」
 館内図に描かれた通路を指でたどる。
「建物の外まではすぐ出られるだろうが──『黒森』の周囲は全て包囲されているとみていいだろうな」
「どうして」
 ジンジャーが呟く。
「どうして、包囲なんて……」
「無線だ」
 ジンジャーの瞳が軽く見開かれる。
「どういうことです」
 ジーリングが少女の代わりに問いかけた。
「奴らが嬢ちゃんを切り捨てたとなると──むしろ嬢ちゃんが生き残っている方が奴らには都合が悪いんだろう」
 クレイグは再び紙を丁寧に折りたたみ胸ポケットにしまい込む。
「この時点ではまだ、嬢ちゃんの生死は半々だった。……ここで嬢ちゃんが自分から生存をやつらに報告しちまったからな。止めを刺しにきたんじゃないか」
 少女はうつむき──ぽつりと呟いた。
「……私」
「そんな目で見るなよ」
 弾倉の数を確かめながらクレイグが応えた。
「──嬢ちゃんをここに派遣した奴らは味方だったか?」
 昏い瞳で少女は首を横に振る。
「だけど」
 小さな声が震えた。
「私達はその『声』には逆らえないのに」
「いくぞ」
 クレイグは歩き出した。──が、少女が立ち上がらないのを見て軽く息を吐く。
「嬢ちゃん」
 そばに寄ろうとしたクレイグをジーリングが制した。
 傍らに座りその頭に軽く触れる。少女は驚いたようにその顔を見上げた。
「大丈夫。帰れますよ、きっと」
「……でも私」
「家はないかもしれません。けど、迎えてくれる人はいるでしょう?」
「わからない」
 困惑の表情を浮かべ、ジンジャーが言う。
「仲間はいるけど、私は彼らにとっての危険因子でもあるから」
「そうですか」
 ジーリングは優しく微笑む。
「じゃ、帰りましょう」
「……」
「目指す場所はまだある、ということですよ」
 青年の顔を凝視したままジンジャーは表情で問う。
 本当に? と。
「運が悪くて戻る場所が見つからなかったら、『こっち』に戻っていらっしゃい」
 ジーリングは立ち上がり、少女に手を差し伸べる。逆の傍らにいた白い狐が鼻先でその肩を突ついた。
「……うん」
 少女はその手を取った。
 黙ったままクレイグが再び歩き出す。青年と少女と狐がその後ろに続いた。

 館内を出た途端、大気を引き裂くようなローターの巨大な音が響いた。
 森の木々に切り取られた空の合間に複数の黒い影が浮かんでいる。
「小型の無人攻撃ヘリか」
 クレイグが目を細めて上空を見やる。
「周辺を見てくる。魔法遣い、嬢ちゃんのお守りを頼む」
 言うなり、クレイグの姿が茂みの先へ消えていく。後には青年と少女と白い狐が残された。
「……私」
 視線でクレイグの消えた方向を追いながらジンジャーは呟く。
「結局足手まといになっちゃったわ」
「気にすることはありませんよ」
「だって……あの人だけだったらもうとっくにこの施設を離脱しているはず。あなただってそうでしょう?」
 少女は溜息を吐く。ジーリングは苦笑して答えた。
「あなたはもう、チームの一員ですから」
「……どういうこと?」
 心底疑問に思っている表情でジンジャーは問い返す。
「偶然とは言え私達はここで出会って、共同戦線を張った。──だから、あの人はあなたを見捨てません。多分そういう人ですよ」
「そうなの?」
「いえ、私も彼とは出会って間もないので確信しているわけではありませんが、そういうところでの筋は通す主義のように見受けられるのでね」
 言いながら、青年は彼自身の疑問を心に浮かべる。
 だから、解せないのだ。奪還すべきものを壊した彼の意図が。
「……不思議だわ」
 少女の言葉が彼の思考を引き戻す。
「わからないことだらけ……『黒』のことも……『あの人』のことも」
 青年はくす、と笑う。
「相手を完全にわかるなんてこと、誰にもできませんよ。例え何年経とうと──はい、手上げて」
「……何する気」
「まぁ気にせずに」
 おずおずとジンジャーは腕を上げる。ジーリングはひょいとその腰の左側を覗き込むと、身体に接着されている黒い四角い箱に手を触れた。
「え、ちょっと」
「動かないで」
 腰に巻かれたベルトの何箇所かに触れると、黒い四角い箱はジンジャーの身体を離れた。
 ジーリングはその箱を目の前へ持ち上げ、軽く揺らす。
「二液混合型ですか。アクセサリにしてはかなり物騒ですね」
「……どうやって」
「自分で巻いたんじゃないですよね? 『付けさせた』んでしょう? 『付けさせられた』のかもしれませんが……なら外せない道理はない」
「でも」
「私はそもそもエンジニアになるはずだったんですよ。……とりあえず策があるので、これをもらえないかなーと」
 ジンジャーはおずおずと頷く。ジーリングは黒い箱にベルト部分を巻きつけると自分の上着の内ポケットにしまい込んだ。
 それから間もなく、クレイグが偵察から戻ってきた。
「やはり森全体を包囲してやがるな」
「向うの勢力は?」
「正確には分からんがこの広大な面積を包囲しているんだ、旅団規模の兵力なのは間違いない。どこか一角を突き崩して、奴らから足を頂戴して離脱……というところだろうが」
 高らかな鳴き声が空をつんざいた。
「FOX II ?」
 少女の声を背にそのまま白い狐は走り出す。──『黒森』の外へ向かって。
「何を……」
「『黒』、待って」
 ジンジャーがクレイグの上着の裾を引く。
「FOX II が、追うなって」
「追うなって、どういう……」
 再び高い声が虚空に響いた。
 既に20メートル先にある、走る狐の姿がより白味を増し──光りだす。
 瞬間、駆ける足許にあった草が消失した。
 疾走する光に気付いた兵士達が銃を向け斉射するがその銃弾すら身体に触れる前に蒸発する。
 光はそのままスピードを緩めず、兵士達の中にその身を躍らせた。
 10メートル四方に穴が開く。兵士達は全身をもしくは身体の一部を蒸発させ地に転がった。
 白光を放つ狐は少女のほうを振り返る。
「『今からついてこい』って」
「……あれにか」
 クレイグは肩をすくめ──視線を空へ遣る。
「その前に『あれ』をどうにかしなくちゃいけませんね」
 その視線の先にある無人ヘリの群れを見やり──ジーリングが呟く。
「大尉。しばしの間彼女を頼みます」
「何を」
 する気だ、と続くはずの言葉は宙に消えた。
 青年が走り出す。その行動を察知した兵士達が一斉に銃口を向けた。その身体と周辺へ降り注ぐ9ミリ弾。
「──」
 叫びかける少女の口をクレイグは掌で抑え込んだ。
(あの野郎……!)
 P90の銃口が走る姿を追う。
 命中率は低い。動く的なら尚更だ。だがその何千発と発射された銃弾の雨が1つ当り2つかすり──
 十数発目が大腿部を貫いたとき、青年の身体が沈む。地に転がったジーリングが銃弾の雨を浴び、動かなくなるまでさして時間はかからなかった。
 そばにいた兵士がうつぶせになったその身体を足先で裏返す。
「……人の身体を足蹴にするものではありませんよ」
 ざっと、周辺にいた兵士が一歩退く。
「……祝福を」
 ジーリングの口許が持ち上がる。
 抱えていた黒い箱が地に落ちた。そのままこれ見よがしに持ち上げた掌を開く。
 細いピンのようなものが落ちた。
「……っっ」
 叫ぶ間もなく、爆風が湧き上がり地を疾る。クレイグは咄嗟に少女の身体を抱え、太い木の陰に身を置いた。
 台風の数百倍にもなろう巨大な熱を伴う衝撃波が木々をなぎ倒し枝を払い地を焼き焦がす。
 続く墜落音。無人ヘリが次々にコントロールを失い、地に堕ちる。
「……あ」
 かすれ震える声が漏れる。
 少女がその場でぺたんと座り込む。──視線を爆心に固定したまま。
「嬢ちゃん行くぜ」
 苦々しい表情を隠そうともせず、クレイグは少女に声をかけた。
 ジンジャーは動かない。
「嬢ちゃん」
 もう一度短く呼んだ。少女はそのまま動こうとしなかった。
 顔を覗き込む。瞳孔が焦点を結んでいない。
「……ったく、どいつもこいつも……」
 クレイグは背後から少女の身体をかかえあげる。少女は全く抵抗しなかった。
 都合はいい。あの人間離れしたパワーを抑え込みながら走る自信はない。
 だが抱え上げた身体は自失したというより──支える手を失くした人形のようだった。生身の人間の身体が身動きを取れなくなるほど電磁波の影響を受けるものなのか?
 白狐がクレイグ達と兵士達の間に身を躍らせる。そのまま先頭を走っていた兵士に飛びかかり、喉笛に食らいついた。
 クレイグは少女を抱えたままFN57を構え正面にあったジープの運転席を狙撃する。即死した兵士達の死体を外へ放り投げると少女の身体を助手席へ置き、そのままアクセルを踏み込んだ。
「座席にしがみつけ、口は閉じてろ」
 言うなり奪い取った車を急発進させる。数百メートルも走ればここへ来るときに乗ってきた車が放置してあるはずだ。
 兵士達を食い止めていた白狐はクレイグ達がジープを発進させたのを確認すると後を追って走り出した。すぐに追いつき、右側を併走し始める。
「……私が」
 助手席でか細い声が震える。
「私が、いたから」
「それは違う」
 クレイグは即座に否定した。
「でも……!」
「黙ってろ」
 ジーリングが人為的に起こした爆発で、遠隔操作で操られていた無人攻撃ヘリは強力な電磁波の影響で全て無力化していた。だからこそ離脱はあっけなく成功した。だが。
 クレイグは黙々とハンドルを切る。
 苦々しさはいつまでたっても消えなかった。

「『魔弾』に仕掛けた【巨獣の顎(フェンリル)】を逆手にとられたか……してやられたな」
 指揮官は感情も込めず言う。連れてきた兵士達は約半分にまで減らされていた。
「少し予定が狂ったが、作戦は続行する。──焼き払え」

 

「入りたまえ」
 ノックの音に、カウフマンが短く答えた。静かに細く扉が開く。
「失礼します」
 入り口で軽く頭を下げ、ジーリングが入ってきた。
「どうした。あまり浮かない表情だな」
「……」
 カウフマンはジーリングの返事がないのを看てとると、無言のまま手振りで着席を勧める。席に腰掛けてからしばらくも青年はしばし無言だった。
「──『A』の残存資料のことですが」
 やがて意を決したように、ジーリングは重い口調で言った。
「ああ」
「……教授は彼に何を依頼したのですか……?」
 沈黙が場を支配する。カウフマンはその言葉にはすぐ答えなかった。
「──アルフレート君」
「はい」
 やがて呼ばれた名前に、青年は静かに返事を返す。
「私が君に頼まなかったのは信用していないからではないよ。むしろ大事な教え子だったからこそ私は君には頼めなかった」
「え……」
 カウフマンは懐から手帳を取り出しさっとペンを走らせると、そのページを破りとりジーリングに差し出した。
 それを受け取り目を走らせ……ジーリングははっと顔を上げる。
「──未だ知られぬ事実の発見、証明、飽くなき追求……憑かれた者の喜びはそこにある。いわば魂の本能とでも言う欲求だ。無論それが悪いのではない、それがなければ現代に至る科学の発展はないのだからな。
 だが、一つ間違えば道を誤ってしまうのも確かなことだ。
 私達はあの頃、熱に浮かされたようにルナリウムという名の至宝に夢中だった」
 青年は師の言葉をうつむきながらも真摯に聴きいる。
「思い至ったのは取り返しがつかなくなって、かなりの時間が経ってからのことだ。それでも私達は自らの非を認めることができなかった」
 カウフマンはしばしの間黙り込む。
「……だから、ですか」
 次に口火を切ったのはジーリングのほうだった。
「ああ。……それがどんな結果に終わったものだろうと、その意味を理解する者に『A』を手放すことなどできはしない」
 だからこそ。彼に依頼した──『A』の残存資料の消却を。
 迷う。自分が教授に依頼されたなら、やり遂げるだろうか。
 見つけ出すことはできるだろう。場所は既に示されているのだから。だが『それ』を手にしたとき……自分は彼のように、迷いなくその場で消却できるだろうか。
 多分できない。好奇心がそれを許さないだろう。確認した内容が禁忌だとしても……消却することはできないだろう。
 自分が科学者である限り──
 ノックの音がした。
「どうぞ」
 カウフマンの返事とほぼ同時に扉が開く。
「戻ったか」
「──ええ。ご依頼の件は完了しました」
 入り口で敬礼したあと、クレイグが短く報告する。
「そうか。ご苦労だった」
「その件についてはまた後ほど。……失礼」
 クレイグはつかつかとジーリングの許に歩み寄る。そのまま襟を掴んで座っていたその身体を持ち上げ、殴りつけた。
 カウフマンが慌てて立ち上がる。
「教授」
 ジーリングの冷静な声がそれを押しとどめた。
「しかし」
「それだけのことはやりました。……手ぬるいくらいですよ」
 立ち上がり、青年は軽く口許を手の甲でぬぐう。
「そんなに不愉快でしたか、私の選択が」
「くだらねえ」
 吐き捨てるようにクレイグが毒吐いた。
「確かにお前らは想定外の要素だ、だが俺の仕事はそのリスク毎請け負っている、勝手に先走るんじゃねえ」
「あなたの為にああした訳じゃありませんがね」
「当り前だ、俺がくだらねえって言ったのは安易に自己犠牲を気取ったような手段をとったことだ」
「……お優しいことで」
「本来は殴る価値だってねぇよ。だが」
 クレイグは顎をしゃくる。
「お前はこうでもしなければあの嬢ちゃんの気持ちに気付かない」
 ジーリングは今気付いたかのようにクレイグの背後に目を遣った。
 幼い双眸が自分をまっすぐ見つめていた。
 クレイグが無言で背を向け、部屋を出ていく。ジンジャーはその姿を一瞬目で追ったが、すぐに視線をジーリングに戻した。
 見つめる視線に途惑いが混じる。
「いいですよ。……いらっしゃい」
 引っ張られるかのように、少女は彼の足許へやってきた。
 じっと彼を見つめ──その身体のあちこちをぺちぺちと叩く。
「あの……ジンジャーさん?」
 ジーリングの声に少女は手を止める。その表情が歪んだ。
「……──」
 うつむき抑える声が泣く声だと気付き──彼は気がついたかのように言った。
「ごめんなさい」
 恐る恐る、その髪の毛に触れる。
「……忘れていたんですよ」
 大切な人に心配させまいという気持ちを。──失ったままだと思っていたから。
 新しく得るかも知れないなんてこと、考えもしなかったから。
 押し殺した声が大きくなる。ジーリングは少女の身体を抱きかかえると、幼な子をあやすかのように優しく背を叩いた。

 

 自室へ帰ってきたクレイグを迎えたのはミュラーだった。
「無事に帰ってきてもらったところで、悪い話をしなければならないが」
「何だ」
「第三種が壊滅した」
 クレイグの動きが止まった。
「何が起きた」
「『空白地帯』と連絡がとれなくなったと彼女から連絡が入ったのが午前9時過ぎだ」
「──それで」
 もくもくと新しいシャツに着替えながらクレイグは報告を聞く。
「こちらで確認すると伝えたところで、第三種との連絡手段も絶たれた。そちらにはシンが向かったが……」
「わかった」
「……」
「『空白地帯』には6名派遣していたな」
「ああ」
「すぐに出る。……グウェン」
「何だ」
「5分くれ」
「了解した」
 そのままクレイグは部屋を出ていく。ドアの閉まる軽い音にミュラーは大きく息を吐く。
 堪えて当然だ、彼にとっての『ただ一人』が生死不明なのでは──
 しかしクレイグは公私混同を嫌う。業務中は15年来の友人である自分のすら名字で呼ぶ。
 だが彼は応えた。『5分待て』と。ならば余分な言葉はいらない。彼の望むままに人員を用意し、動くだけだ。

 廊下に出るとクレイグは足早に歩き出す。
 角をまがり、数メートル進み、──その歩みが遅くなりやがて止まる。
 誰もいない廊下。拳を右の壁に叩きつける。
「……アヤ」
 呟きは低く小さく響き──静寂に融けて消えた。

 

 上空1万メートル。
 他のクルー達が首都制圧のサポートに動き回っている中、ラングは『空白地帯』の観察を続けていた。
 LV7にもう1度攻撃させれば片はつく。だがラングはあえてそれを命じなかった。
 あの厄介な力場は壊した。軍人上がり──code*Aのただ一つの成功例がどのような動きをするのか、単純にそれに興味があったのだ。
 唐突に機体が大きく揺れる。
「何が起きた!」
「すぐチェックします」
 周囲の声にも動じず、ラングはモニターに見入る。
 地面に鳥のような影が映った。
「6番〜12番のガイストに異常発生、オートフライヤーシステムの制御を受け付けません。航路を離脱していきます」
「離脱だと!? どういうことだ! どこへ向かっている!」
「各ガイスト、監視目標Aの直上から垂直降下中! 降下点は……LV7マーカーを目標に指示変更されている!? このままでは大型形成炸薬を抱えたままLV7の周囲、誤差5m以内に激突します!」
「ハッキングだとでもいうのか!?」
 直感的にラングは視線をモニターの中の青年から、そのそばに立つ子供に移す。
 子供はそこに視線があることを知っているかのように、瞳をまっすぐ空へと向けていた。

 

 白い少女の大群が再び迫ってきていた。
 そのうちの一人が俺に向かって突進してくる。
 迫る少女の足首を狙った狙撃は外れ、彼女の後ろに突き刺さった。
 脳裏に浮かぶ感情を言葉に変換する暇もない。そのまま突っ込んでくるアクセラ。反射的に身体を後ろに退く。
 間に合わない。身体が背中から倒れる。──ここまでか。
 衝突するかと思われた瞬間、眼前まで迫ったその身体が地に沈んだ。
 少女の身体には巨大な穴。かすかにその指先が動き……力を失った。
 空を見上げる。蒼を背景に、数機の戦闘機の影が映った。
 横にはその機影を見つめる白銀の瞳の少年──ミント。
 縦横無尽に空を舞う決して人が乗る戦闘機ではありえないシルエットを持つ機体は、巨大な口径を持つ機関砲で正確に少女達の胴体を撃ち抜いていく。……あれに助けられたのか。
 早く起き上がらなくては。
 力をこめたはずの身体はぴくりとも動かなかった。

 ──俺は直感的に原因を悟る。
 未来の像を結ぶ瞳孔。どう考えたってこれは俺自身の能力ではない。
 人の脳はその90パーセントが眠っている状態だという。脳に囁きかけた『意識』はどうやってか、固く締められたバルブを緩め通常なら到達できない高みまで俺の感覚野を引き上げた。
 それに乗じて俺はアクセラへの反撃を試みた。だがそれに対して俺の運動能力は常人のままだ。自然無理が来る。力が入らないのは、気づかぬうちに身体がオーバーヒートしているからだ。
「……く、しょう……」
 半ば吐く息に融けた言葉。
「……まだ、足りねえってか……」
 銃を持つ左手を見る。グリップを握る指は力がこもりすぎて、痺れたようになっていた。

 選べ。──死に逃避して安寧を得るか、生きて自らの人生に償いを課すか。
 意識が戻ったとき、そう話しかけたのはクレイグ大尉だと聞いた。
『お前が死んだら、俺達の労力が無駄になっちまうからな』
 苦笑しながら話す大尉の言葉を聴きながら俺は、『これは神の意思なのだ』と思ったけれど。

 もうちょっと加減してくれなきゃ、あんたの課題をクリアできないだろうが。
 浮かんだ言葉は思考なのか声なのか、もう既に分からない。

 タイムの『盾』が再びカタチを為し始めた。但し、空気の色の濃度や半径は先ほどの半分以下だが。
 まさか。
 何とか軽く反動をつけ、地面を転がる要領で半身を浮かせ、タイムのほうを振り返る。
 地に倒れるタイムの手を、リュシュカさんが握っていた。
 何か叫んでいる。見ているのは──空を舞うアクセラより背後の──蒼穹。
「──やめて!」
 ……誰に向かって……?
「この人を、これ以上壊さないで……!!」
 彼女の言葉と同時に、まるで唐突にプラグを引っこ抜かれ強制的に電力の供給を断ち切られたコンピュータのように衝撃と共に目の前の世界が朱紅く濁る。
 反射的に恐怖が脳裏を交錯する。
 いや、錯覚だ。──数秒先の未来を見ていた視神経が俺本来の視力に戻ろうとしている──? 非常な痛みは、その反動か。
 頬をぬるいものが伝った。反射的にまなじりをぬぐい、まじまじと見入る。血と土の混ざった涙。

 地上の攻防はまだ続いている。
 セージとローレルは巧みなコンビネーションを組んで少女達を足止めしている。そのそばから解体を続けるシナモンとマロウ。
 戦闘機のコントロールを持続しているミント。盾を維持しようとしているタイムとリュシュカさん。

 銃を一旦離し、左手に力をこめて上半身を持ち上げる。全身の関節が悲鳴を上げる。だが──
 まだ俺は壊れてはいない。狂ってもいない。
 喉から息が漏れる。右手を地につけ、肘を伸ばす。
 右足のバランスをとるのに少し手間取ったが、俺はようよう立ち上がった。
 右目に巻いていたバンダナを外す。弾倉を地面に落とし、新しい弾倉をグリップに押し込む。
 まだ、何も終わってはいない。

 

「ママ・マリア。『鳥』が羽ばたいています」
「鳥。白くて綺麗」
 口々に言う少年や少女の言葉を、妙齢の女性が肘掛椅子に腰掛けながら聴いていた。
「ラングめ……手綱を緩めすぎか」
 モニターに視線を注いだまま、ママ・マリアと呼ばれたその女性は緩やかに流れる金髪を手の甲で軽く払い苦笑する。
「あの鳥は、今解き放つべきものではない……あの座標を狙える世音(ゼノン)はあるか」
「ママ・マリア」
 一番近くに佇む少年は白い翼の少女と女性の顔を交互に見る。
「落とすのですか? あの、美しい白い鳥を……」
「そうだ」
 迷いもなく女性は肯定する。途惑うように少年は意志を再確認した。
「あの鳥を落とすには、40秒以上の最大出力照射が必要……世音の本体が出力に耐えられず融解してしまいます」
「構わぬ」
 女性は美しく、だが妖しく微笑う。

「どうせ永遠に続くものなどないのだ。ならば全て美しく散ればよい。人も神もな」

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